闘病、いたしません。/第1部●悪性リンパ腫(4)

がん治療のツケを払い続けている一患者の記録

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vol.7 治療開始

嵐の前の静けさ

 1988年(昭和63年)7月12日火曜日。
 入院47日目。
 この日からいよいよ化学療法(MOPP-ABV hybrid療法)が開始された。
 初日に使われた薬は、エンドキサン750mg、ビンクリスチン2mg(以上2種は初日のみの投与)、ナツラン150mg(これは1週間投与)、プレドニン60mg(これはいわゆるステロイド。2週間投与でその後段階的に減薬)。
 このレジメンはずっと後に裁判のときに資料としてカルテから書き起こしてもらったもので、もちろん、このときは抗がん剤を投与されていることも、血液がんの化学療法が一番副作用が厳しいこともまったく知らなかった。

 まず、食前にマーロックスという胃粘膜保護のための胃薬を服用。
 これはバリウムっぽい感じでハッカのような味がする。
 食後にも消化剤を服用。
 本番前からこれだけ胃薬を与えられるというだけでも緊張が高まる。
 さらに黄色いカプセル1錠(1日3回)と白い錠剤2錠(1日2回)。
 黄色いカプセルについては免疫抑制剤、白い錠剤については抗生剤だと説明された(おそらく黄色がナツランで白がプレドニンだと思う)。
 薬の説明はあまりしたがらなかったが「日記に書きたいから」としつこくくいさがって聞き出した。基本、ウソをついているわけだから医者も看護師も「面倒だな」と思っただろう。今なら素人でもネットを使えば一発で薬の名前も調べられるから、こんなごまかしはきかないだろうけれど。

 9時45分。
 秋本先生が点滴を入れにくる。
 1本で3時間半から5時間くらいかかるというかなり大きな瓶だ。
 これまた「免疫抑制剤」と言われた。

 1時15分。
 1本目の点滴が終了し2本目につなげられる。
 2本目は治療のために崩れる栄養バランスを補う「栄養剤」だと言われた。
 これもまた大きい瓶だ。

 2時15分。
 秋本先生が、点滴の管の途中からものすごい太さの注射を刺して新たな薬を注入していった。
 50ccくらいあっただろうか。
 原液ではなく生理食塩水に溶かしたもので、これも「免疫抑制剤」だと言われた。

 2時30分。
 点滴の途中で胸部X線写真を撮影。
 点滴の管をつけたまま袖を抜いたり入れたりするのはかなり大変だった。

 4時45分。
 2本目の点滴が終了。
 右奥の歯茎が腫れてるみたいだったので「入院ついでに歯科を受診していいか」と聞いたが、「治療中はやめてほしい」と言われる。
 さらに感染予防に念入りに手洗いとうがいをするようにと指示される。

 夕食後、徐々に胸がムカムカし始める。
 体に力が入らず、手足がガクガクする。
 副作用が始まったのか?!

 9時。
 床についたが、吐き気がますます強くなってくる。
 足もむくんでくる。
 看護師さんが氷嚢で胃を冷やしてくれるが効果なし。
 胃が重く、定期的に吐き気がこみあげてきて、その都度起き上がって吐こうとするのだが、生唾だけがどくどくと出てきて食べ物は出て来ない。
 その繰り返しで結局夜中の3時頃まで眠れなかった。


孤独な闘い

 治療の翌日。
 吐き気はまだ収まらず、まったく食欲なし。
 バナナとゼリーをちょっとだけ食べる。

 9時半。
 夏目先生が吐き気止め入りの点滴を入れにくる。
 15分くらいで少し楽になったが、また元に戻る。

 12時。
 昼食が出るが、見るのもいや。
 一口でも食べると吐き気がますますひどくなる。
 でも経口で飲まなきゃいけない薬もたくさんあるので、空きっ腹に飲むわけにもいかず、薬を飲むためだけにデザートのブドウを必死で食べる。

 1時半。
 点滴をひきずってトイレに行くが、帰りにまた胸がムカムカしてきてうずくまってしまう。
 これ以降は移動しなくていいように、ポータブル便器を病室に持ち込むことになる。
 とにかく気持ち悪さに耐えるだけで精一杯で身動きがとれない。
 これ以降は母に日記のためのメモを頼む。

 2時。
 1本目の点滴終了。
 2本目以降はビタミン剤だという。

 3時45分。
 吐き気止めと安定剤を点滴に追加。
 「若い人は薬の効きがいいから副作用も強く出る。副作用が出るのは薬が効いてる証拠」と夏目先生の上司らしき先生に励まされる。
 今考えればその考え方も間違いだらけなんだけど、そうでも思わなきゃとてもやっていられない苦しさだった。

 5時35分。
 食前のマーロックスが出るが、匂いがどうしてもいやで飲みたくなかった。
 母に促されて無理矢理流し込んだら、案の定その匂いがひきがねとなってその日食べたものをすべて吐いてしまう。
 今後はシロップではなく粉薬に変えてもらうことにする。

 5時45分。
 2本目の点滴終了。3本目に切り換える。

 6時。
 お粥と吸い物を少し口に入れる。
 当初出ていた薬を飲むだけでも大変なのに、さらに吐き気止めと安定剤が加わり、食後の薬を飲むのがいっそう苦行になる。

 6時半。
 回診に来た夏目先生に「つらいだろうけど、明日の朝になればだいぶ楽になると思うから」と言われる。

 8時20分。
 7時までかかってやっと飲み終えた薬を、夕食とともに全部吐いてしまう。
 その後、2回ほど吐いて胃の中は空っぽになったが、楽になるのは吐いた直後だけで、吐き気そのものはどんどんひどくなっていった。
 起き上がれそうにないので、母に手伝ってもらい、ベッドの上でコンタクトを洗浄する。

 10時。
 3本目の点滴終了。4本目に切り換える。
 吐き気はますますひどくなり、熱もあがってきた。
 仰向けになると胃が横に広がって苦しいので、ベッドを半分くらい起こして、右脇を下にして横になってしのいだ。
 それでも40分に1回くらいの割合でたまらずに飛び起きる。
 起きたから楽になれるというわけではないのだが、じっとしていると気が狂いそうなのだ。
 身のおきどころがないとはまさにこういう状態をいうのだと思う。
 どうやって耐えればいいのかわからない未経験の苦しさだった。

 「健康ってこんなにまでしなければ手に入らないものなのか」

 そう思うと情けなくて鼻の奥がつーんと熱くなった。
 うめいて身をよじらせて耐えていると、また嘔吐の予兆がやってくる。
 舌がサーッと冷たくしびれ、全身の血の気がひく。
 まるで凶暴な獣が乗り移ったかのように胃が波うち、回転し、奥の奥のほうまで胃液からなにからすべての液を1滴残らずしぼりだす。
 吐き出したものの匂いはまた次の嘔吐を誘発し、立て続けに数回嘔吐する。息をする暇もないほどに。

 その繰り返しが深夜まで5回続いた。
 吐くものはとっくになくなっているのに、嘔吐は飽く事なく繰り返された。
 ゾッとするほど孤独な戦いだった。
 誰も助けてくれない。
 看護師さんを呼んでも困った顔をされるだけ。
 ただ「耐えてくれ」と顔が語っていた。

 たまらずに「筋肉弛緩剤を追加できないか」と頼んでみたが、「もう点滴のほうにも随分入れてるし、これ以上入れると腸の動きも止まって危険だから」と断られる。

 絶望しながらも「夏目先生は『朝までの辛抱』と言っていた。夏目先生は信頼できる。先生がそう言うんだからこの苦しみには終わりがある。きっとあと少しで地獄から抜けられる」と自分に必死に言い聞かせた。

 午前1時40分。
 看護師さんが点滴に追加してくれた吐き気止めがようやく効いてきたのか、やっとどうにか横になってじっとしていられる程度にまで落ち着いてきた。

 朝はあと少しだ。


血管も限界に

 治療3日目。
 薬の効果が出ているかを確認するため、X線の撮影を受ける。
 吐き気のピークは越えたが、微熱が続き、まだ胃が重くて何も食べたくない。
 昼食から少しずつ食べ始める。
 トイレには歩いていけるようになった。

 治療4日目。
 だいぶ食べられるようになった(ただし好きなもののみ)。
 テレビを見たり、面会客としゃべったりできるようにもなった。
 髪を洗いたいと言ったら却下された。免疫が本格的に落ちてくるのはこのあとだから、くれぐれも感染症には気をつけるようにと言われる。
 ようやく人心地ついてきたので今日はゆっくり眠れるかと思ったら、なんと今度は強烈な不眠になってしまった(今考えるとステロイドのせいかもしれない)。
 眠れないと「早く退院したい」「早く元の生活に戻りたい」とそればかり考えるようになってしまい、これはこれでつらい。

 治療5日目。
 喉が痛い。恐れていた通り、菌に感染したらしい。
 とにかく念入りにうがいをしろと指示される。
 ごはんが食べられないというとすぐにお粥が出てくるが、お粥はもっと食べたくない。今のところ一番のお気に入りはうどん。家で作ってきてもらう。
 この日も不眠気味。

 治療6日目。
 まだ白血球もそれほど下がっていないらしいので病室内で洗髪の許可が出る。

 治療7日目。
 外科はつらくてもあとは回復する一方ってわかってるからいいけど、内科の治療は副作用との戦いだからいつまで続くのか、どこまで続くのかがわからないのが不安だ。
 内科の緑川看護師長がやってきて「薬が効くかどうかが心配で眠れませんか?」と聞いてきたが、効くかどうか以前に私にとっては副作用のほうが重大問題だ。
 そもそも私はまだ告知もされていない。
 病気じたいについてももっと軽く考えていた。
 正直、なぜここまで過酷な治療をやらなければならないのかわからなかった。

 治療8日目。
 この日は2週間の治療の中日にあたるが、またあらたな薬が登場した。
 吐き気の副作用が予想以上に強かったため、今回はまず最初に吐き気止めを入れることになった。
 が、体調が低下しているせいか、いつも以上に点滴が入りにくく、いきなり3回失敗された。
 この日入れられた新しい薬は3種類。
 アドリアマイシン40mg、ブレオマイシン10mg、ビンブラスチン6mg。
 ひとつは点滴で入れられ、もうひとつは点滴の途中で静注(クランベリージュースのような赤色)、残りは筋注だがこれは朝夕2回に分けられた。
 朝の筋注で吐き気がちょっと出たが、今回は初日ほどのひどい副作用は出なかった。
 …と思いきや、翌日にじわじわきた。

 治療9日目。
 のどがカラカラなのに何かを飲もうとすると気持ちが悪くなるという厄介な症状だった。
 胸がムカムカして食事が苦痛でたまらない。
 37度台の微熱も続く。
 尿から細菌が出たので培養してそれに効く抗生物質を用意したいと夏目先生に言われて中間尿を採取。

 治療10日目。
 ちょっとでも動くと吐き気が復活するのでこわくて動けない。
 検査のため、車いすで移動するが、その振動でムカムカ、廊下に蔓延する薬の匂い、建物の匂い、人の匂い、空気の匂い…すべてがムカムカのもとになる。
 検査室は異様にエアコンがきいているので、すっかり体が冷えきってしまい、朝の点滴がいっそう入らなくなる。また3回失敗。
 洗面とコンタクトが重労働。
 特に歯磨き粉の匂いはマーロックスを思い出させてトラウマレベルだ。
 胃がなまりのように重くて眠れない。
 安定剤を出してもらってなんとか寝るが、胃のむかつきで夜中に何度も目が覚めた。

 治療11日目。
 胃のむかつきはよくなるどころかますますひどくなる。
 胃のむかつきと手足の冷えはセットになっている。
 そしてただでさえ入りにくい血管は、刺し過ぎで静脈炎を起こしていて、いよいよ入れるのが困難になってきた。
 縛ったり、叩いたり、蒸しタオルで温めたり、できうる限りのことはするのだがどうやっても入らない。
 そんなことをやっているうちに再び吐き気が復活してきたので、まずは筋注で吐き気止めを入れ、おさまってきてから点滴入れを続行しようとするが、筋注も効かず、今度は座薬を使う。これは効いた。
 そのうちにお昼の時間になって、点滴入れは午後まで持ち越しに。
 結局この日は7回刺された。
 午後からは吐き気も回復し、揚げ物とかはさすがに無理だったが、なんとか食事もとれるようになってきた。
 なまじ体調が落ち着くと今度は不眠に悩まされる。
 「治療が終わったらなにをしよう」「いつ会社に復帰できるのか」などと考え始めるととまらなくなるのだ。

 7月25日月曜日。 
 入院60日目。
 この日、2週間の治療がようやく終わった。
 胃腸もすっかり回復し、食べ物もどんどん食べられる。
 普通に食事できることがどんなに幸せかを思い知り、涙が出そうだった。
 太るとかもうどうでもいいじゃんという気分だった。
 食欲とともに気力も回復してきて、スケッチブックを広げて絵を描いたり、旅行のアルバムを作ったりなどの余裕も生まれて来た。
 あとは、これからの2週間で免疫が回復してくるのを待つのみだ。

<2013.01.20更新>

vol.8 無慈悲な計画

容赦ない宣告

 7月28日木曜日。
 入院63日目。
 治療が終わって3日たつが、退院の話はとんと出ない。
 最初の話通りにいけば、8月10日くらいには出られる感じだった。
 それから多少家で休養するにしても、うまくいけば9月くらいから会社に出られるんじゃないかと思っていたのだが…。

 9時45分。
 夏目先生が現れる。
 「これで一応1クールの治療が終わったわけだけど」
 いきなりの爆弾発言に耳を疑った。
 「このあとの治療については」
 1クール…このあとの治療って……え?
 「2クール目までを入院してやって様子を見て、それ以降は」
 それ以降??……え?……ちょっと待って。
 間髪を入れず、おそろしい爆弾が次々に投下されて私は混乱した。

 「あの…治療はあれで終わりじゃないんですか?最初の1回は強い治療で、あとは外来で様子を見るだけだって先生おっしゃいましたよね」
 パニックになった私に先生は冷静に答える。
 「1回だけじゃなんともいえないんだよね。また元に戻っちゃうこともあるし」
 夏目先生の表情はいついかなるときでもわかりにくい。
 「じゃあ…まったく同じ治療を…要するにこの2週間やってきたあれをもう一度やれ…と?」
 泣きそうになりながらようやく聞き返したところ、夏目先生は黙ってうなずいた。
 「2回やれば治るんですか?」
 きいたとたん、「バカな質問をしたな自分」と思った。
 「それも様子を見ながらだからなんともいえないね。こればかりは個人差があるから。でも…」
 「でも?」
 「多分…」
 「多分?」
 「予定としては6回…」
 「……」

 頭の血がてっぺんから砂が崩れるように落ちていった。
 そして2週間の地獄が走馬灯のようによみがえった。
 1回で終わると思えばこそ、歯を食いしばって耐えたというのに、このうえまだ頑張れというのか…。
 「6回全部を入院してとは言わない。本当は最初の1回を入院してやってみて、あとは外来治療でと思ってたんだけど、小春さんの場合、思った以上に吐き気がひどく出るタイプみたいなので、念のためにもう1回だけ入院してやってもらって、それから外来治療に切り換えようと思うんだ。吐き気でつらいのは1回の治療で2〜3日だけだから。それさえ我慢できれば大丈夫だから。頑張れるね?」

 「はい。わかりました。頑張ります」なんて言えるわけがない。
 正直言って、退院さえすればもう治療は終わったようなものだと思い込んでいた。
 通院と言っても様子を見に通うくらいだろうと高をくくっていた。
 まさか半年も治療が続くなんて…。
 夏目先生にしてみれば、最初から6回なんて言ったら私がショックを受けるだろうと思って、とりあえず1回目の治療のことだけを話したのかもしれないが、あとになって受けるショックのことも考えてほしい。


救いのない現実

 夏目先生が出て行ったあと、冷静にカレンダーを見ながら考えてみた。
 2週間薬を入れて2週間休むので、治療は1クールで1ヶ月かかるということになる。
 とすると、2回目の治療が終わるのが8月末。
 そこで退院できたとして、治療がそのあと3回、4回、5回、6回と続くとすると……今年が終わってしまうではないか!
 免疫を落とすわけだから外出も自由にはできないだろう。
 仕事どころではない。

 陳腐な表現だが目の前が真っ暗になった。
 なまじ、昨夜やりたい仕事のことなど考えてしまっただけに、ショックはいっそう大きかった。
 これさえ終われば…これさえ終われば…。
 そんな淡い期待をいったい何度ふみにじられてきたことか。
 疲れた……本当に疲れた……。

 午後、外科の総回診があったが、中岡教授ではない先生がまわってきた。
 ふと気がつくと北原先生の姿が見えない。
 南田先生に聞いたらなんと風邪でダウンしているのだそうだ。
 大丈夫だろうか…。

 夜、並びの病室から人工呼吸の音が聞こえてきてそれが妙に耳についた。
 入院前にも「死」は意識したが、それは自分自身の「死」だった。
 そのときに感じたのは家族の「死」だ。
 私はそれまで本当に近しい人に死なれた経験がなかった。
 「残された人の気持ち」をこのとき初めて考えたが、想像するだけで息が詰まりそうなほどこわかった。
 「死ぬ人」がいるということは「死なれる人」もいるということだ。
 単調なポンプの音は恐怖を増幅させた。

 考えるな。頭を空っぽにしろ。
 治療のことも…。ポンプの音の意味も…。
 そう懸命に自分に命じながら眠りについた。

<2013.01.22更新>

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登場人物一覧

人物名はすべて仮名です。
名前をクリックすると初登場記事にジャンプします。
※当時は「看護婦」「看護婦長」と呼ばれていましたが、文中では現在の呼称に従い「看護師」「看護師長」と表記します。

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