闘病、いたしません。/第1部●悪性リンパ腫(8)

がん治療のツケを払い続けている一患者の記録

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vol.13 突然みえた光明

意識もうろう作戦

 1988年(昭和63年)9月7日水曜日。
 入院104日目。
 3クール目の治療が始まった。
 初日に使われた薬は2クール目と同じだった。
 今回は吐き気対策として、治療前から安定剤2種類と吐き気止め1種類を飲むことになった。

 この日はコンタクトを最初から入れないことにした。
 何も見えなくなるが、どうせ何もできないし、吐き気のピークでコンタクトをはずすのがいつも大変な苦行になるので。

 9時半。
 点滴スタート。

 10時半。
 点滴の途中から問題の薬を入れられる。
 今回は10時半と11時半と二度に分けて入れられた。
 安定剤が効いてずっとトロトロと眠い状態が続く。

 12時。
 まだ吐き気はこないが、食後にまた安定剤2種類と吐き気止め1種類が出される。

 1時40分。
 やや気持ち悪くなってきたので座薬を入れてもらう。
 これ以降は人が入ってきた気配で目が覚める以外はほとんど寝ていた。

 5時35分。
 夕食は食べられそうになかったが、安定剤と吐き気止めは飲めと言われたのでその通りにしたら、飲み込んだ刺激で胃の中のものをもどしてしまう。

 5時40分。
 秋本先生が吐き気止めの注射をしにくる。
 静脈からどうしても入らず、筋肉注射にきりかえる。

 6時半。
 吐く。眠る。

 8時10分。
 胃液を吐く。眠る。

 8時20分。
 座薬を入れる。眠る。


眠気の圧勝

 治療2日目。
 昨日は本当によく寝た。
 あれだけ安定剤を入れられたらそりゃあ寝るだろう。
 吐くときはもちろんつらいのだが、吐いてから次に吐くまでの間は寝られるので全体の時間が短く感じられるし、吐く直前の苦しさがやわらいだことで、思い返してみると苦しんだときの印象が希薄であまりなまなましい記憶がない。

 今のところ、吐き気は収まっているが、念のため今日も食後の吐き気止めと安定剤は継続。
 今回は通院治療のシミュレーションでもあるので、2日目以降は点滴をやめて経口にきりかえる。
 その結果、食後に飲む薬は8種類15個という膨大な数になった。

 この日もとにかく眠くてたまらない一日で、ほとんど終日寝ていた。
 夜中に1回胃がムカッとして生唾がドクドクと出てきたが、座薬と眠剤でなんとかしのげた。

 治療3日目。
 この日からコンタクトを入れる。
 吐き気はとれたので安定剤と吐き気止めは中止する。
 が、今度は頭がふらふらして体に力が入らない。
 じゃあ寝ればいいじゃないかと思うかもしれないが、この2日というもの1週間分くらい寝てしまったのでもうこれ以上は眠れない。
 安定剤は胃の働きも低下させるのか、吐き気はなくてもあまり食べられなくてすぐにおなかがいっぱいになってしまう。

 治療4日目。
 朝4時に目が覚めてしまい、その後どうしても眠れず。
 頭はまだボーッとするが、体調はそれほど悪くなく、ビデオを見たり、アルバムを作ったり、手紙を書いたりして過ごせるくらいにはなった。

 治療5日目。
 夕べも1時頃まで眠れなかったのに今朝は5時に目が覚めてそのまま目が冴えてしまう。
 胃の調子が悪いわけではないのだが、さすがに病院の食事に飽きてきた。
 ローテーションも知り尽くしてしまったし、もっとバリエーションのあるものが食べたい。
 特に麺類が恋しい。


初めて出た「退院」の2文字

 治療6日目。
 朝、秋本先生がやってきて、「まだ治療後半の具合を見てからじゃないと断定はできないけど、この調子なら今回の治療が終わった時点で退院して通院治療に切り換えてもいけるんじゃないか」と言ってきた。
 耳を疑った。
 入院してから100と9日、嬉しい知らせで耳を疑ったのはこれが初めてだった。
 いや、ダメだ、ダメだ、ダメだ。
 今まで何度も期待しては裏切られてきたのだ。
 ぬか喜びは一生分くらい味わった。
 今度も期待してはいけない。
 そう思ったが、先生からはっきり「退院」という言葉が出たことは今までなかったので、期待せずにはいられなかった。

 この日のお昼はキャンセルして母と院内の食堂で広東麺を食べる。
 母も退院の話は意外だったらしく、すごく喜んでいる。
 部屋に戻るとき、メニューをちらっと見てタンメンでもよかったなと思う。

 夜は興奮していつも以上に眠れなくなった。
 今まで「考えてはいけない」と封印してきたものが次から次へと噴き出してくる。
 そのうちに昼間見たタンメンのことまで思い出してしまい、明日は是が非でもタンメンを食べにいこうと心に決めて1時頃にようやく眠りについた。

 治療7日目。
 まだ治療は終わっていないし、退院も決定したわけではないのに、もう浮き足立ってしまっている自分をとめることができなかった。
 今までお見舞いに来てくれた人たちにお礼状と退院通知を出さなくては。
 文面はどうしよう。
 リスト作らなくちゃ。
 試し刷りしなくちゃ。
 思いは退院後のことばかりに向かって行った。

 昼は父とまた地下食堂に食べにいったが、あれほど恋いこがれていたタンメンがメニューからはずされており、しかたなく一番近そうな五目そばを食べた。
 食べ終わったあとにメニューを見ながら「味噌ラーメンも捨てがたかったな」と思う。
 なんかもう煩悩がとまらない。

 治療8日目。
 この日から後半の治療が始まる。
 初日と同様、前日から安定剤と吐き気止めを山のように飲んで備える。

 初日以上の効果だった。
 さすがに超痛い筋肉注射のときは目が覚めてしまったが、それ以外はすべてがトロトロ寝ているうちに終わっていた。
 食事とトイレ以外はずっと寝ていたといっても過言ではない。

 治療9日目。
 いつもは胃が鉛のように重くなる後半の治療だが、今回はその副作用も出なかった。
 ただ、喉の渇きは今回も出て、やたらに飲み物ばかり飲んでいた。

 治療10日目。
 夏目先生から正式に「21日にガリウムシンチの検査を受けたら、あとはいつでも退院してよし」との許可が出る。

 やった!!

 外科の先生たちもすっかり祝賀ムードで、「長かった入院生活の最初の頃の思い出話」に花が咲いた。
 退院日は22日に決まった。

 あと6日間……。
 実在しないかと思われたゴールがようやく視界に入ってきた。

<2013.02.04>

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登場人物一覧

人物名はすべて仮名です。
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※当時は「看護婦」「看護婦長」と呼ばれていましたが、文中では現在の呼称に従い「看護師」「看護師長」と表記します。

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